前回の記事はこちら→自分のルーツを探して Vol.8 乳児院からの返答
思いがけず乳児院の担当の方から「当時長谷部さんを担当していた保育士に連絡を取ってみるよ」と素敵な提案を頂きました。
保育士さんは実母では有りませんが、生後5日から約3年間お世話になったので実質母親と言っても過言ではないと思っていました。
私が今こうして毎日元気に生活出来るのも、嬉しい時に笑って悲しい時に泣くのもその保育士さんが守り、育ててくれたからでしょう。
生まれてすぐの3ヶ月が赤ちゃんにとって、愛着の絆形成の視点から見てもっとも重要な期間であると言われています。
この時に一緒に居てくれた保育士さんと会えるかも知れない!と私はワクワクしていました。
また、以前勉強のために訪れた乳児院の院長先生にも「生後間も無く乳児院に預けられた子は特に気に掛かるもの。きっとその保育士さんも覚えていらっしゃると思うよ」とお声をかけて頂いたので勝手に期待をしていました。
保育士さんからの回答
そして待つこと約1ヶ月半。
心のどこかで「電話まだかな・・・」と思うもののなるべく考えないようにしていました。
保育士さんは存命されているからきっと連絡が来ないのは何か事情があるのかも、と前向きに考えていました。
そして7月の後半、ちょうどこのHPのイベントACOSVol,1〜養子の子のイベントのため、新幹線に乗ろうと待っている時に乳児院から電話が掛かってきました。
電話口の担当の方から
「保育士に連絡がついたものの、保育士も高齢になってしまい昔の記憶を思い出すのが難しくなってきている。30年も前の話で(乳児院に)勤めていたことは覚えているけれど、それが長谷部さんのことなのかどうか自信を持ってお話出来ないから今回は遠慮したい」
との説明を受けました。
そりゃそうだな・・・。当時40歳だったとしたら今70歳なんだもの。一番最初に担当した子みたいに特別何か思い入れが無ければ覚えていなくて当然だな。と思いました。
乳児院の担当の方には忙しいなか尽力して頂いたお礼を述べ電話を切りました。
ここでも感じる空白の期間の壁
「そうだよなぁ・・・昔のことだもの」と思いながら新幹線に乗り、養子の子のイベントに向かう私。
今回参加して下さった養子の子と話をしている中で自然と「自らの出自を知るには?」という話題になりました。
そこで1人の方が「児相や裁判所は国の期間で書類を閲覧出来る期間が決まっているから、情報を集めるなら(自分が入院していた)乳児院が一番いい」という話をしてくれました。
乳児院は民間で経営しているところもあるので行政機関よりもいろいろ緩い、と。
確かに私も行動してみて、行政機関よりもやりとりがスムーズに出来たり、いろいろと計らって頂いたように思いました。
しかしながら、やはり時の流れには逆らえない・時間を止めることは出来ないのだと感じました。
子どもは1人では生きていけず、誰かのお世話になることは避けられません。人とは離れられないのです。しかし、担当してくださった方も退所した子のことをいつまでも引き継いでいくわけでは有りませんし、人の記憶というのは1秒後にはどんどん薄れていくものです。
養子の子が知りたい事項としては、もちろん書類上に記載出来ることも含まれますが、書類では記載出来ない幼い頃の自分ではないでしょうか。近所の犬がよく吠える犬で散歩の時は泣いていたとか、人参が嫌いでいつも残していたとか。
そういう今と地続きになっているかも知れない何気ないことを知りたいと私は思います。
時の流れには逆らえない・時間を止めることは出来ない、そう思いますが何とかならないものかなぁと思いました。