前回までの記事→自分のルーツを探してVol.7乳児院へ
前回は裁判所の審判書の内容に基づき、お世話になっていた乳児院へ訪問し記録開示の手続きをしたところまでお話しました。
今回はその続きです。
待つこと約2週間、乳児院から着信があり「入院していた当時の記録は無かったが唯一写真が一枚残っていた」との連絡をもらいました。
私がお世話になっていた乳児院は昭和初期に建てられた乳児院で、平成に入ってから現在の住所へ移転しており、その移転の際に過去の情報を整理してしまった、とのことでした。
しかしながら写真が一枚残っていたとのことで該当の写真をカラーコピーして郵送してもらうことにしました。
両親も持っていない私だけの記録
自宅に届いた写真を眺めて最初に思ったことは「・・・これって本当に私??」ということでした。
写真の中の私が今の私と地続きである、ということがにわかに信じ難く、他人の写真を見ているような気持ちになりました。
ポロライド写真で撮影されたその写真の余白部分には、『1988年8月退所時撮影』と記されていました。
(両親のところにいってからの写真では)私が着ている服も被っている帽子も見た事がなく、「ふーん」という感じでした。
この写真を手に入れたところでプラスになったことと言えば、この写真は両親も持っていない写真であり、自分自身の過去を自らの手で発掘できたようで少し感慨深いものがありました。
今でもこの写真のコピーは大切に保管してあります。
乳児院からの素敵な提案
写真が残っていた、という電話を頂いた時に電話口の方から
「この当時担当していた保育士は退職したものの、連絡先がわかるので(乳児院から)連絡をしてみて、保育士が良ければ面会の場所を設けましょうか?」と素敵なご提案を頂きました。
想像もしていなかった展開でしたが、とても嬉しく「お願いします」と答え、「それではこちらから保育士に連絡し、その後またご連絡します」という話でその日は終わりました。
いつか私の過去に携わってくれた方に(もちろん実母を含む)出会ったら見せようと思っていた写真が何枚かあるのですが、こんなにも早く出番が訪れるかも知れない!というのは驚きました。