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自分のルーツを探してVol.2児童相談所というワードとの出会い
宮城の児童相談所とのやりとりを終え、秋田の児童相談所へ電話をすることに。
いざ秋田の児童相談所へ
前回同様、「両親から養子である旨の真実告知を受けた。恐らく秋田の児童相談所でお世話になったと思う。情報があれば情報開示請求などで知ることは出来るのか?」と尋ねてみました。
児童相談所という所は本題に入る前に「名前、住所、年齢」を聞く組織ということが分かりました。
「秋田の児童相談所で取り扱ったのは事実ですか?」と問われ、
「事実かどうか分からないけれど、私は秋田で生まれて秋田で育った。児童相談所以外にその当時養子について相談できる機関は無かったのでは?と思い連絡した」と伝えました。
電話口の方は「私は分からないから担当者に変わる。でも今担当者は席を外しているから掛け直す」とのことでした。
掛け直してきた電話の担当者に「生まれた年、その当時の名字、特別養子縁組の裁判をした年」を伝え、記録があるかどうかを調べてもらうことになりました。
「結果は後日連絡します」とのこと。
そして電話が・・・!
翌日児童相談所から着信がありました。
電話口の方は昨日とは異なり、きっと昨日電話した方の上長の方であろう年配の方。
『秋田の児童相談所では特別養子縁組(と断言されたかは覚えていません)の記録はその子が25歳になるまでしか保管していない』とのことでした。
私が児童相談所に電話したのは31歳の時。6年オーバーしてしまっていました。
残念・・・。と思っていると思いもよらぬ一言が。
『今更養子の過去について調べてどうするの?今度結婚されるんでしょ?今が幸せなら過去の事をほじくりかえしたっていいことは無いよ。忘れて幸せに生きていきなさい』というニュアンスのことを言われました。
え・・・?児童相談所の職員が発する言葉なのでしょうか・・・?
児童相談所の方が親切心で言ったのは重々承知の上です。もしかしたら記録が無かったことに対して申し訳なく思い、フォローのつもりで言われたのかも知れません。
しかし、養子の子であれば誰でも自分の自生について知りたいと思うのが必然だと思います。
そんなことも言われれば「どうせ、血の繋がった普通の家族で育った人には分からないんだ」と卑屈になったりもします。
今が幸せだからそれでいい、そう判断できるのはあくまでも当事者が自らでそう思った時です。外部がその意見を押し付けることではない。そう思います。
このやりとりがあってからは実の母親を探すのも面倒に感じられ(知りたいと言う度にこういうことを言われるのは面倒)そこからしばらく放置していました。
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