これまでシリーズ化して、私のルーツを知るために私が行動してきたことを綴ってきました。
これまでの記事→
自分のルーツを探してVol.1児童相談所というワードとの出会い
自分のルーツを探してVol.2秋田の児童相談所へ
自分のルーツを探してVol.3裁判所へ行くことに・準備編
自分のルーツを探してVol.4裁判所へ行くことに・審判書を手に入れた
自分のルーツを探してVol.5事実を知るタイミング
実際に半年近く自分のルーツを探す行動をしてみて、改善して欲しいと思ったことは2つ。
1、周囲の「今が幸せならそれでいいじゃない」「養子のことを調べてどうするの?」という言葉。
今が幸せならそれでいい、わざわざ過去の悲しい出来事を思い出してどうなるのか?という言葉です。
私は実際にいろんな人にお会いし、いろんな情報を教えてもらい1つ1つ行動に移してきました。その結果、どうして自分が養子となってしまったのか、産みの母親の事情について知ることが出来ました。
自らのルーツを知ることによって「あぁ、自分が今こうして生きていることって、偶然じゃないんだな」と改めて感じることになり、言葉の通り私は今幸せに生きているんだなと感じています。
きっと誰でも過去に1つや2つ、出来ることなら忘れてしまいたい思い出や悲しい出来事があると思います。でも、それを忘れることが出来ないのは、これからの人生を生きていく上で決して忘れてはいけない痛みだからだと思います。
自分の人生がこれから続いていくからこそ、過去に向き合い、乗り越えたいと思っています。それを「今が幸せだからしなくていい」と決めつけられるのはあまり気持ちよくありません。
とある育児院の院長先生が
ボートを前に進めようと思ったら後ろ向きに座ってオールを漕がないといけない。
進むべき進路とは反対に後ろを向いて座り後ろを見ているが、そのボートは着実に前へ進んでいる。人生の旅路の中でボートを使う場面もあるだろう。
今(養子という過去に向き合っている時間)は決してマイナスではい。
あなたのボートは前に進んでいるよ。
と声をかけてくれたことがありました。この言葉にすごく支えられたのでここにも記しておきます。
養子の子の出自にまつわる情報の保存期間とその内容が時代や地域によって異なる
秋田の児童相談所は記録の保存年数が「その子が25歳になるまで」でした。これもその児童相談所によってバラバラだと伺っています。
養子の子が「自らの出自を知りたい」と思うタイミングは人それぞれです。本当は知りたいけど、今は養親と一緒に住んでおり都合が悪い、という場合もあるでしょう。
物心ついたらすぐに知りたい人もいるでしょうし、大人になってから、結婚を機に、または身近な家族の死がきっかけで自らの生い立ちに興味を持つ人もいるかも知れません。
各自治体によって保存年数が異なるなんてことはあってはならないと思います。
今は産みの母親の居住地と育ての母親の居住地を離すケースもあります。
向こうの自治体は資料を永年保存しているけれど、今住んでいる自治体は保存年数が限られている、というケースも生じてくるかも知れません。
また、裁判の審判書も最近の審判書には情報を多く載せない傾向(調査官の記録には詳しく書いてあるが、実際に保存年数の長い審判書には詳しく書かないなど。)があるのではないか?という話も伺っています。
「知りたい」と思った時代の基準で当事者本人が「知れる範囲」が変わるのは如何なものかと思います。
自らの出自を知るフローチャートの存在
現代では民間のあっせん団体もあり、その団体で産みの母親の情報や連絡先をストックし、いざという時にはその団体経由で自らの出自を知ることも出来るでしょう。(子が知りたいと思った時にその団体が存続していることが前提条件です)
しかしながら、児童相談所を経由していたり、私のように年齢を重ねてから自らが養子だと分かった場合、どうしたらいいのかわからない場合も多いと思います。
私の場合は幸運にも、詳しい方からお話を伺い行動を起こすことが出来ましたが、なんらかの手引きとなるものが必要ではないか、と感じております。
今後当別養子縁組の成立件数を増やしていく、という国の指針も出ております。
どうか子どもの出自についての権利や制度も早期に整備されるべきだと感じています。