先日、「養子という問題に否定的な考えがあるわけでもないし、親との関係もそこまで悪くない。なのに長谷部さんはどうして当事者活動をしているの?」と問われることがありました。
私が一番最初にこの活動を始めたきっかけは
「自分が真実告知をされた時に、『特別養子縁組』についてググっても情報が全然無かったから」
でした。
そこで自分の経験を記事に書くことを始め、このHPを立ち上げました。
そこから先一歩踏み出して「養子の子限定イベント」を開催したり、実際のプロダクトを考えたりするようになりましたが、「はて、どうしてだろう」と振り返り考えてみました。
真実告知を受けた時、私の中での『家族』の定義というものが上書きされたように感じます。(それまでは特に『家族』について考えることも無かったかと思います。)
『家族』とは、個々人の集まり、なんとなくそう感じたことを覚えています。
そして私は『家族』ということに甘えて、自分の両親のことについて知るということをおざなりにしてきたなとも思いました。
親は子のためにいろいろしてくれて当たり前、親は子を助けるのが当たり前、という自分中心的な考えをしていたこと、実際に傍若無人に振舞っていた自分に対して深く反省しました。
私には若くして1人で子どもを生んだ友人やなかなか子どもを授からず悩んでいる友人がおり、真実告知を受けるまでは彼女らの話を聴きながらもどこか「大変だなぁ」と他人事として聞いていた節がありました。
それが「もしかしたら私の生みの母もこういう状態だったのでは?私の育ての親もこういう気持ちだったのでは?」と、一気に自分の話になり友人の話がやけにリアルに感じられるようになったのです。
私の両親(養親)が私を引き取ったは私の母が34歳の時です。私が真実告知を受けたのは31歳の時。
私の母と同じような年齢になりましたが、もし仮に両親と同じ境遇だったとしても「子どもを迎え入れる」という選択が出来るかと言えば自信はありません。
今より圧倒的に前例も情報も少ない時代に私の両親は大きな決断をしたのです。
単純にその勇気に「すごいなぁ」と思いました。加えて、「30年前に大きな決断をした時にはとても不安だっただろうなぁ」と思ったのです。
そこで私は当事者としての気持ちを表に出していくだけではなく、30年前の両親が不安だった気持ちを今の私が何とか少しでも解消出来ないか、と考え始めたのです。
これが今の私の活動のベースになっているのかも知れません。
私は真実告知を受けるまで実の親子だと思っていたぼんやりとした鈍感な人間です。
何かおかしいな?と思っても「まぁ、そういうもんだろうな」と流し、しっかりと違和感に向き合い、考えることをしてきませんでした。
数々のエピソードを人に話すと笑われることも有りますし、自分でも話をしていて鈍感過ぎて恥ずかしいと思うくらいです。
なので特別声をあげて訴えかけたい、伝えていきたい痛みというものは乏しいと思います。(出自を知ることについてはいろいろ思います)
こんなぽわん!とした私が当事者活動をして誤ったイメージを伝えてしまわないか、これからの未来にマイナスにならないか、日々考えながら活動をしています。
なら活動すんなよ!余計なお世話だよ!と言われることも実際ありますが、私は私なりに意味を感じて活動しているつもりです。
私が出来ることは僭越ながらも今ある新しい形の家族を見守ること、寄り添うこと、過去に無かったものを考えること、かなと思います。
いろいろ勉強をしていますが、まだまだ浅い部分も有ります。「こんなことやってんのか」くらいに見守ってくれたら嬉しいです。