もう一度「わたしたち」の「家族」へ

何はともあれなんとか無事に出産を終えて家に帰ってきました。想像以上のてんてこ舞いな毎日。しかしながら家族や周囲の協力を得てなんとか小さな小さな命をこれまで育み続けることが出来ました。

私は産後の肥立ちがあまり良くなく、産後3週間を過ぎても30分と起き上がっていることが出来ず、とてもしんどかったです。

新生児期は一瞬だからたくさん顔を見ていて!と言われていたものの、その可愛さをたくさん享受することも出来ずに寝ているしか出来ない自分を責め、想像していた産後の幸せなイメージとかけ離れていること、理想と現実との違の大きさに涙したこともありました。

60歳を越えた母が連日家事と子どもの面倒を見てくれて(授乳以外はほぼ全部やってくれていた・・・)本当に助かりました。

「お母さんごめんね、毎日疲れるでしょう」と謝ると母は

「全然疲れていないよ。この子(息子)はさちこに似ているからさちこの小さい頃の世話をしているみたいで楽しいよ。お母さんはさちこの赤ちゃんの時を知らないからね」

と、とても生き生きとした表情で言ってくれました。

そんな母を見て、かけてもらった言葉を反芻していると「この子を生んで本当に良かったなぁ」「この子は私と母を再度結びつけて家族にしてくれた」と思ったのを覚えています。

この子が生まれて
母は「自分の子(さちこ)の赤ちゃん時代を見て、触れて、育てることが出来た」
私は「母に私の幼い頃を見てもらっている、手をかけてもらっている」
と感じることが出来、本来家族なら当たり前に過ごすことが出来るものの私たち特別養子縁組家庭では過ごすことが出来なかった「最初の時間」をお互いに取り戻せたようなそんな気がしました。

以前同じ養子の子の立場の方と

  • 人生の最初の時間と最後の時間を共有するから「親子」になれるのかもしれない
  • 一緒に過ごした時間を立場を変えてリピートするのが家族ではないだろうか

という話をしたことがあります。

そのときも「そうだなぁ」と思っていたのですが今回は実感を伴った分さらに深く頷いています。

私達(わたしと母)はもういい大人同士だけれども、こうやって何度でもまた家族になることが出来るんだなと感じました。(父親が話に出てこないのですが、父は実家で家の留守番と愛犬の世話をしてくれていました。父もてんてこまいだったみたい)

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