かなりセンシティブな内容になるから書くのを辞めようかとも思ったけれど、誰の目にも触れないということは、それはそれで悲しいのでそのまま気持ちを書いてみようと思う。
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ここ1週間くらいとても体調が優れず、廃人のようにゴロゴロしていた。
体調不良の原因はひとことで言うと生理前後のホルモンバランスの崩れ。
割と規則的な生理も遅れ、食欲もなくなり、夜中に突然吐き気がして目覚めることもあり、本当に妊娠したんじゃないかと疑った。検査をしたら陰性でしばらくしたら生理が来た。
いつか主人との子どもが持てればいいな、家族が欲しいと思っているもの事実だけれど、実際に我が身に子供が宿っているかもしれないと思うととても辛く、嫌で、死んでしまいたい気持ちになってしまった。
生理前のブルーな時期も重なって、「子供が欲しいと思いつつ、そういう兆候があれば全力で嫌になる。私は一体何がしたいんだろう」と考えて悩んだ。
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もともと嘔吐恐怖症があり、自身の胃の調子が悪いことや、他の誰かが体調悪くなっているのを見ることが出来ない。
子供が出来たら悪阻もあるし、それに耐えられない、それが嫌なのだと思ったら違った。
今日気付いた。
私は母親に会いたいのだ、と。
一人暮らしを始めたら家族のありがたみがわかるように、
結婚したら母の女性としての強さがわかるように。
きっと子供を宿したら私は母親の偉大さ気付くであろう。
そして、私をお腹に宿している時にどんな気持ちになり、どんな気持ちでその日を迎え、初めてその腕に抱いた時に何を思ったか、きっと知りたいと思ってしまうだろう。
聞きたいこと、確かめたいことがたくさんある。きっと思いを馳せてしまう。
私はその気持ちを一人で抱えきれない、きっとそう思う。
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「子供を産むと幼少時代の傷が癒るから、早く子供を作った方がいい」と以前友達に言われた。きっと彼女は「私が子供を産みたくない理由は子供の頃愛されなかったから」と思っているのだろう。
私は多くの大人の手を借りて命を繋いでもらった。この上ない愛情をかけてもらったと思っている。そこは決して間違えたくはないし、勘違いして欲しくはない。
私が子供を作る上でのネックは幼少時代の辛い記憶ではなく、不安と迷いとわずかな希望とが入り乱れる十月十日を分かち合える相手がいないこと、これなのだと気付いた。
だからどうしようとすぐには思いつかないけど、思いつきのままに記しておくことにしよう。