私が「今こういう仕事をしているんだよね」とお伝えすると、「どうして養子なの?」と聞かれる方がいらっしゃいます。
「私自身が養子だったから」とお答えすると、ほぼ100%の確率で「それを知った時どう思った?」と聞かれます。
どう思ったか?
どう思ったかと聞かれ、一言で回答すると「衝撃を受けた」になると思います。
(あれ?答えになってないかな・・・?)
感じる、思う、という思考が働きませんでした。
例えるなら、大きな災害が起きて街が壊滅してしまった時にただただ立ち尽くしてしまう状況に似ています。
何かすごいことが起きているけど、これは一体・・・(@_@)いう感じです。
天と地、右と左が逆になる感じ
よく私が例えとして使う言葉が「上と下、右と左が逆になる感覚」です。
なんのこっちゃですよね。笑
でもこれが一番当時の私の心境にしっくり来ます。
全ての事柄を疑う、と言うよりもこれまでの事柄に新たなラベル(思い)を貼っていく作業をしていたのだと思います。
今まで家族だと思っていたのが実は違っていた。でも私たちは家族だ。
家族とは?と考え新しい家族のラベルを貼る、と言うように。
私は30を過ぎてからの真実告知だったので貼り直すラベルの量が膨大でした。
ただ過ぎていく日常に救われた
私は土曜日の夜に真実告知を受け、衝撃を受け、一晩中泣いていました。
泣き過ぎて頭痛がし、吐き気がして大変でした。笑
しかし、朝は来るのです。
ホテルに宿泊している両親を迎えに行き、仙台駅まで送りました。この時点で日曜日のお昼ぐらい。
私は気晴らしにどこか行きたかったのですが、主人は家にいた方がいいと説得し、家に戻って少しグズグズしていました。
月曜日からは主人も仕事なので日中はいません。その当時私は仕事を退職していたので日中ずっと家にいて少しグズグズしたり、養子に関することをひたすらググったり、両親にメールをしたりしていました。
毎日きちんと新しい朝が来ることが何よりも嬉しかったです。
朝日を浴びると少しだけ気持ちが明るくなって、お散歩をして、元気が出て来て、という何気ないことに救われていました。
自らググること以外はSNSも全て更新せず、ひたすら時間を費やすことに使いました。
今思えば気持ちを紛らわせず、きちんとその都度の感情に向き合えたことが良かったのでは?と思います。